僕はAKB48が好きで、一連の社会現象を五体で受け止めている。ライブの日と握手会が重なり、リハを遅らせてまで参加した経緯もある。
そんな中、先日同じくAKBファンの職場の先輩が、「推しふぅーうちわ」なる物を買ってしまった。それは推しメンの「ふぅー」っと息吹き掛ける顔がプリントされたうちわで、扇ぐと「ふぅー」っとしてくれる代物。驚く事に公式グッズ。
僕はその衝撃に過呼吸を起こした。想像を絶する下世話さに卒倒するのだが、薄れゆく意識の中で、このアイテムの是非を今一度問い質した。
すると自分の想像を超えた馬鹿さが、やがてある種の感心に成り代わった。半端な常識は野暮、やはり軽く狂ってるくらいが面白い。
僕は特定のアイドルの追究よりも、そこで巻き起こるムーブメントへの興味が深い。基本的に崇拝対象さえ確保すれば何をやっても成立する雑多的な構造。その規模が膨らむ程、突飛で歪な現象がみられる。
AKBも総選挙は勿論、全国握手会の現状も無茶苦茶だが、挙げ句握手券を抜き取られた残骸は即刻ブックオフに並ぶ様は異景。当然推しふぅーうちわもAKBドンジャラもCGメンバーも然り。もうわけがわからない。だかそこに翻弄されるのが面白い。
自分自身が身を投じる事は勿論、客観視して捩曲った独特の外観を楽しむのもまた一興。
アイドル文化はカオスである。巨大で禍々しく不思議に華々しい乱気流。目を背けたくても背けられないその艶に惹かれ思わず触れてしまう。中は帰還困難の桃源郷。思考は停止し、全てを吸い尽くされ息絶えようとも、その亡骸は幸せな笑みを浮かべているのだ。全身に澄んだ光を纏って、現実に汚れた精神を浄化していく幻想を全身で噛み締め朽ちゆく者の姿は美しい。
そしてその亡骸は後の僕の姿だ。愛と浪漫に生きる者達の末路だ。アイドルに生きるとはそういうものなのだと思う。
(2011年8月31日リリースleqo vol.2に掲載)
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