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 真面目にJ-POP 第1回/ワタナベ(バンド無所属)
日本のシングルチャートで最も多く一位を獲得した歌手は誰か。それはB’zでも、MR.CHILDRENでもない。正解はピンクレディー。一位獲得曲数こそ9曲だが、その9曲で首位獲得週63週の歴代記録を保持している。

アイドルと付き合いたい、と思ったことがない男はいないだろう。最近はAKB48が飛ぶ鳥を落とす勢いだが、昔から男はテレビに映るアイドルたちに焦がれてきた。そして、昔からアイドル文化は常に日本の音楽文化の一部であったのだ。

歌い手に容姿が求められだしたのはカラーテレビが普及した70年代初め。メディアへの露出がヒットを飛ばす重大なカギになってきたのだ。この時期に、かの有名な「スター誕生!」という番組が始まる。カラーテレビの時代がアイドルの需要を高めることを予期していたかの様に始まった番組だが、事実、そこからかなり多くのスターが誕生することになる。その最初期に生まれたスターに山口百恵がいる。

山口百恵は1982年にデビュー曲「としごろ」がチャートインしてから、ラストシングルの「一恵」がランク外になるまでの7年もの間、シングルチャートの100位以内に常に曲がランクインしていたという記録を持っている。7年間の間ずっと安定したセールスを続けていたことの証明であり、彼女がいかに高い支持を集めていたかがわかる。

山口百恵の引退後も80年代初期は松田聖子と中森明菜などが人気を博した。アイドル文化は衰えることなく勢力を増していき全盛期を迎える。この時期のアイドル文化は、音楽文化の中心をも担っていたのかもしれない。歌い手が提供された曲を歌うということは、それは美空ひばりであっても石原裕次郎であってもそうだったわけで、容姿が先行しているアイドルであってもその流れを確かに引いていた。アイドルはあくまで歌手であり、それには良質な曲が必要だった。

「横須賀ストーリー」、「PLAY BACK part.2」などを始めとして、山口百恵のヒット曲の多くを手掛けたのはダウンタウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童だった。さらに当時若手であったさだまさしや谷村新司も曲を提供したことがある(さだまさしの手掛けた秋桜はあまりにも名曲)。松田聖子の曲を手掛けたミュージシャンは松任谷由美、大滝詠一、財津和夫、細野晴臣などがいて、中森明菜も井上陽水、タケカワユキヒデら今では考えられないようなニューミュージックのスターたちが名を連ねる。この頃は自分の本職としての音楽以外にもアイドルに曲を提供することは全く特殊なことではなかった。少し前にB’zの松本考弘がKAT-TUNに曲を提供して話題になったが、そのようなことが日常的に行われていたのだ。

前述の大滝詠一、細野晴臣ははっぴいえんどのメンバーとして日本ロックにあまりにも大きな影響を与えた。さらに歌謡曲に対しても大きな影響を与えた人物として欠かせないのがドラムの松本隆だ。

松本隆ははっぴいえんどでは作詞担当。彼は日本のロックの文化を立ち上げたようなミュージシャンの一人。昔から大衆志向の音楽と、新しいものを作ろうとする音楽には溝があるわけで、彼もいわゆる歌謡曲を軽視していた。しかし日本の音楽を語る上で絶対に外せない、筒美京平との歴史的な出会いにより状況が変わる。松本隆はある日すごく長い歌詞を書いて筒美京平に渡した。松本はこの歌詞に曲なんか付かない、と始めからタカをくくっていたが、すぐに曲が完成したと報告を受け、実際にその曲を聴いて衝撃を受けた。こうしてできたのが、太田宏美が歌って大ヒットすることになる「木綿のハンカチーフ」。これ以降、この二人がコンビを組んだ曲は多く出され、日本の音楽界をずっと支えていくことになる。ちなみに筒美京平は作曲家として売り上げ枚数歴代一位、松本隆は作詞家として歴代二位の記録を持つ。この時期までのアイドル歌謡は、常に素晴らしい才能を持ったミュージシャンに支えられていた。そこには今のようなバンド/アイドルの壁はなかったのだ。

1985年にデビューしたおにゃん子クラブは、それまでのアイドルの価値観を覆すものだった。あくまで歌手であり、特別な存在として遠いものだったアイドル。それを秋元康は逆手にとり、どこにでもいそうな、身近な女の子というものをコンセプトにグループを作り上げた。身近っぽい女の子、アマチュア的なゆるいダンス、普通の女の子的な歌であっという間にトップアイドルに上り詰めた。ピークであった1986年には、オリコンシングルチャートの52週中36週でおにゃん子クラブ関連の曲が首位を獲得したという。まさに社会現象というに相応しい状況だった。しかし、ここでアイドルというものが完全に異性のためのものになってしまったという弊害を生んでしまう。おにゃん子クラブには女性ファンなんてほとんどいなかったのだ。

しかし80年代後半にカラオケが普及してから、状況はまた変わってくる。歌うことに対する需要が出てきたため、アイドル歌謡であっても同性に対するアピールをする必要が出てきたのだ。この時期のジャニーズJr.が光GENJIからSMAPへ行った方向転換のシフトからも想像ができる。この時期から90年代の終わりまでは、ZARDやglobeのような正統派シンガーであるとか、SPEEDのようなダンスグループもあったが、いかにもなアイドルというのは影を潜めていた。アイドルというのが時代的なニーズに合わなくなっていたのかもしれない。

しかし、潜在的な需要はあったのであろう。90年代後半から00年代前半にモーニング娘。が大ブームを巻き起こした。初期には模索を繰り返しながらプロデュースをしていたつんくだが、ダンスミュージック方向が当たりモーニング娘。を国民的なグループまで導いた。メンバーを増やしすぎたおにゃん子クラブが自らの重みで潰れてしまったのを避けるように、加入・脱退を繰り返す方式を取り入れる。メンバー一人一人が個性を出せるかがこのグループの鍵であった。

そう考えると、AKB48は全く真逆である。常識外のグループ人数と、同じような服装、似た髪形。AKBはメンバーを没個性させるところから始まった印象がある。人気が出だした第二回総選挙の頃でもメンバーの1人か2人しか名前を知らないというのが普通だった。さらに、初期には完全に男性ばかりをターゲットにしていた感もある。没個性・男性のみがターゲット、というこの2点において、今までのアイドルの在り方に対し完全に逆を行っている。当初はこのグループは成功しないだろうと僕は思った。しかしAKBの成功は周知の通り。今ではメンバーの数人は露出も増え、名前も売れている。女性ファンも着実に増やし、国民的アイドルとしての立ち位置を確立している。どこまでがプロデューサー秋元康の思惑だったかわからないが、この成功は感服するしかない。

AKBはアイドルとして一つの成功を収めた。しかし、AKBを音楽としてとらえている人はどこまでいるのだろう。ファッション的な感覚で支持されてはいるが、今までの音楽的な感覚と少しギャップがある。少なくとも、音楽として大衆に浸透する日は来ないような気がする。

その理由の一つにAKBの曲を書いている人がわからない、というせいはあると思う。作曲家が前に出るのが避けられている感がするのだ。今までのアイドルは、ミュージシャンとして実績を上げた人、または名前のある作曲家が曲を提供していた。しかし最近は、AKBに限らずだが、作り手の顔が見えない音楽制作が続いている。音楽が商業的になりすぎて、提供する側にかかる要請が多く、不自由になってしまったこともあるだろう。楽曲提供にミュージシャンの腰が上がらないのかもしれない。

モーニング娘。が商業的になりすぎた、という批判はよく耳にする。売れ線の楽曲を作り、ソロ・ユニットを乱発、確かにその一面もあるだろう。しかし、つんくはシャ乱Qとして成功した時から、歌謡曲に対して恩返しをすることを考えていたのではないかと思う。歌謡曲を聴いて育ったつんくが、先人が作り上げてきた音楽文化を守る、という意識から行ったアイドルプロデュースだったのではないか。

アイドルはもともと歌謡曲の延長から発生したものであり、音楽文化の重要な部分を担っていた。現在はアイドル文化が音楽文化と完全に乖離してしまっている。最近は音楽文化の衰退がしばしば口にされる。歌謡曲とバンドの関係性が悪化したことがその一因としてあるのではないかとも思う。もしかしたら若いミュージシャンがアイドル歌手に曲を提供していくような動きがあれば面白いんじゃないかと思う。また日本の音楽文化を創り出していくことがいま最も必要なことなのかもしれない。



(紙面未掲載のWeb限定コラム)
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watanabe
ワタナベ
2010年夏頃まで"バンドしても一人"のドラムとして活動するも現在は自称バンドニート。作曲も手がける。
プログレ畑出身のポップス好きで、音楽の趣味は幅広い。

こちらでワタナベが作曲した楽曲を聞けます↓
http://soundcloud.com/watanabeinradio


leqo HP:http://leqo.jimdo.com/

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