日本は終戦以来ずっと平和である。就職難であっても、自殺者の増加に歯止めがかからなくても、である。先の大震災の後も、僕たちは結局変わらない生活をしている。多くの人が、どれほどか心を痛めていたことに関わらずに。
音楽文化は常に世相を反映する。音楽は作り手の意図が込められる。そしてそれが社会に広く受けいれられるものであったならば、多くの共感を呼んだとするのは単純であろうか。以下の文章で問いかけたいのは、日本の音楽は何と戦ってきたか、ということである。
言うまでも無く、音楽の歴史は気が遠くなるほどに長い。極端に言えば人類が狩りをしていたような頃に石や棒を楽器として声を張り上げたのが音楽の起こりかもしれない。しかし、音楽が創作物的な面で一般大衆のものになったのはここ50年くらいの事である。なぜなら音楽を作るには楽器が不可欠である。例えばギターやピアノなどを誰もが当たり前のように手に入れることができる以前は、音楽を創作するという行為自体がとても敷居が高いものであったことは想像に難くない。それ以前に作られたものは、いわゆる音楽家たちの手によって創作されたものであり、それは芸術的に優れてさえいればよかった。そのような音楽が体制(この文章中では、自分に反する大きなものとして広い意味で用いている)に反するものである必要はそもそもないし、仮にそうであってもそれが大衆の共感を得るとは考えにくい。
一般層が楽器を手に入れることが出来るようになってすぐに、体制に対する不満を表したような曲が現れ、多くの共感を生むようになる。これが日本のパンク・ロックの起こりだと僕は考える。そしてこれらが最も簡単な表現方法であるフォークソングという形態で現れてきたのは非常に理に適っている。
初期のフォークソングはまだまだ日本が不安定であったせいか、思想色が強い。60年代後期は高田渡の「自衛隊に入ろう」、フォーク・クルセダーズの「イムジン河」、岡林信康の「手紙」など、具体的な問題に対する怒りや悲しみが歌にされている。
しかし、70年代では状況が変わっていく。この頃には吉田拓郎、井上陽水などが現れ、絶大な支持を得た。彼らの曲からは思想性や怒りが直接には感じられない。恋愛や社会などを歌っていてもそこにあるのは体制に対する圧倒的な倦怠感である。吉田拓郎の「人間なんて」、井上陽水の「傘がない」などはその代表か。
いずれも体制に対する反抗であるのかもしれないが、そうであってもその内情は全く異なる。前者は問題意識を提示することで社会を啓蒙する“積極的反抗”、後者はどうせ何も変わらないから何もしない、という意味で“消極的反抗”と僕は呼んでいる。いずれも時代的には非常に重要な意味を持ったが、後者の方が広く後の日本に受け入れられた感がある。
もちろん、私はその頃生まれてはいない。だから所詮想像の域を出ないのだが、日本人には結局強い思想性なんてものは合っていなかったんだと思う。70年代に日本は急速な経済成長を遂げた。結局日本人は豊かであり、社会的な事象に対して真剣に取り組む必要性が強くはなかった。むしろそれに対するどこか相容れない感覚が倦怠感となり、それを歌いあげた井上陽水や吉田拓郎に強い支持が集まったのだろう。75年に学生運動を皮肉った「いちご白書をもう一度」なんて曲が大ヒットしたのもそういう事なのかもしれない。
バンド形態での音楽が一般的になっても根幹は変わっていないと思う。少し時代が飛ぶが、80年代に活躍したザ・ブルーハーツをパンク・ロックの代表と考える人は多い。ブルーハーツのメッセージ性は非常に抽象的なものである。例えば名曲「リンダリンダ」でなぜ甲本ヒロトはドブネズミの様に美しく、と歌うのか。なにより、リンダリンダとは何か。それにきちんとした解釈を与えられる人はいない。しかしそれでも多くの人は、よく分からないままでもその歌詞に共感する。
彼らのエネルギーは、前述の倦怠感に対する反発でもあったのかもしれない。しかし、実際はどうなのだろうか。個人的には、具体的な敵を指し示せないまま体制と戦っていた彼らはむしろ吉田拓郎や井上陽水に極めて近いような気がする。彼らは抽象的な言葉を歌う(見えない自由とは?見えない銃とは何か?)。多少皮肉めいた書き方かもしれないが、日本の音楽は戦う対象を明確に定めることが出来ず、漠然とした何かと戦う事にならざるを得なかった。これは彼らの敬愛するSEX PISTOLSが(比較的に)具体的に政治的な歌を歌っていたのとは本質的に異なる。イギリスは階層社会であり、日本人と同じ不満を歌う事は無いだろう。同時期にデビューした尾崎豊もそう。尾崎豊は「自由」「支配」と歌い続けたが、果たして何が自由で何が支配であるかは誰も答えることはできないのだ。
90年代に入ると、ドラマタイアップが非常に力を持ち、中心シーンは完全にラブソングに支配された。90年代の月9のドラマ主題歌からは6作ものダブルミリオンセールスが出ており、これはこの年代のダブルミリオンセールスが16作であることを考えても非常に多い。時代の流れはJ-POPへ、言うならばヒット曲指向へと変化していった。
ここで、Mr.Childrenというバンドについて触れておく必要がある。彼らはラブソングを歌ってきた。昔から変わらず、ラブソングと言うものは大きな需要がある。しかし、Mr.Childrenはもっと強かであった。例えば彼らの最大のヒット曲である「Tomorrow never knows」を取り上げる。「果てしない闇の向こうに手を伸ばそう」なんていう歌詞に象徴される、この時期から多く見られるようになった自分探し形ソングの代表である。しかし、「再び僕らは出会うだろう この長い旅路のどこかで」なんて歌詞が出てきた時に気付く。これはラブソングだ。自分の周囲の環境に対する希望や不満などを歌にしているうちに、「君」にたどり着く。彼らのヒット曲は実は「innocent world」も「名もなき詩」も同じ手法で作られている。
これは昔からあった手法なのかもしれないが、時代的な背景も相まってこれは非常に広く浸透することになった。言うならば「非ラブソングのラブソング化」、または「ラブソングの非ラブソング化」である。無意識のうちにこの型にはまっているミュージシャンは実際に多く、自分探し形ソングなんかはほとんどこれである。
2000年代初めには青春パンクロックが大きな影響力を持った。ここにおいて非常に興味深いのは、青春パンクにおいてはフォークソングへの回帰が強く見られたことである。「Going Steady」、「ガガガSP」、「太陽族」、「ジャパハリネット」などのバンドで強く見られる。ここでなぜそのような事態が起こったのかは正直全く分からないが、パンクロックとフォークソングはそもそも近いものであると考えたら納得もいく。
思うに、日本の音楽において“倦怠感”というものが非常に深い影を落としている。もちろん日本人的な体質も影響しているとは思うが、まっすぐ社会問題を歌いあげるような曲は日本人にはどうも恥ずかしくて受け入れがたいところがある。そのため社会問題を歌うような曲は「そんなこと考えても結局目の前の仕事に追われてしまう」とかいって茶化したり、「こんな時代だから君を守りたい」などと言ってラブソング風にしたりするのがもはや慣例ですらある。しかしそっちの方が受け手としてもしっくりくる。社会問題を真摯に受け取ることの難しさは、学生運動の流行と失敗から来る倦怠感の名残ではないかと推測したりする。
さて、全体的に皮肉めいた文章を書いてしまったと思う。その点に関しては、私自身が日本の音楽を誰よりも愛している点を理解し、ご容赦していただく他にない。さて、日本人の国民性はしばしば取り上げられるが、その多くは否定的なものである。確かに問題意識は低く、どこか他人事のような捉え方しかできない。これは何百年も前に形成された日本人の国民性なのだろう。しかし、このような考え方を日本人は美徳としてきた。そのせいもあって、日本の音楽に乗るメッセージは直接的でなく、やはり控えめなのだと思う。控えめ、という言葉が私は好きだ。日本人の音楽はその謙虚さに支えられて現在あるべき姿に収まったんじゃないか、なんてことを割と真剣に考えている。
(紙面未掲載のWeb限定コラム)
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ワタナベ
2010年夏頃まで"バンドしても一人"のドラムとして活動するも現在は自称バンドニート。作曲も手がける。
プログレ畑出身のポップス好きで、音楽の趣味は幅広い。
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